■ミニ企画展「人々を元気に」の牧 絵図に描かれた嶺岡牧を開催

 「国民の寿命を延ばしたい!」との想いで八代将軍徳川吉宗は最高の薬餌である醍醐(だいご)という乳製品を生産普及するため、江戸幕府直轄牧であった嶺岡牧に白牛を放し酪農を開始した。このことにより「日本酪農発祥之地」となった嶺岡牧とその周辺地域は、戦後の「国民の栄養状態を良くしたい」との想いの実現まで一貫して牛乳・乳製品生産を通して人々の命と暮らしを支えたところ。嶺岡牧は、日本にとって忘れることのできない貴重な歴史遺産である。その嶺岡牧とそれを支えた村々の姿を描いた絵図が多数残されていたことが、2017年度に千葉県酪農のさとで行った嶺岡牧調査で明らかになった。
 南房総市の山田区有文書に残されていた絵図は元禄5年に描かれており、現在確認されている限り嶺岡牧を描いた最古の絵図であることが判明した。高梨牧士家文書にある絵図には、千倉・白浜方面から江戸に向かう道が嶺岡牧に入る直前に2箇所の関所が描かれており、嶺岡牧が重要なところであったことが確認された。また石井家文書に、村で嶺岡牧を分割管理するために村境に野馬土手を築く計画を描いた絵図が確認された。これらの絵図に、当初は土手だけで嶺岡牧と村の境にしていたのが、幕末に近づくと土手に加え柵を設けていることなど、牧を取り巻く姿をみることができる。

 
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