江戸幕府直轄牧「嶺岡牧」の東端を修正 貝渚区有文書の調査研究で確認

南房総市 千葉県酪農のさと

 「日本酪農発祥之地」として知られる嶺岡牧の東端は、魚見塚一戦場公園(鴨川市)の東縁に築かれている土手だといわれてきた。しかし、千葉県酪農のさとで鴨川市貝渚区が所有している文書を調査したところ、その土手は明治30年代に牧内の土地を貝渚区が嶺岡畜産株式会社から借り開墾した時に築いた土手で、江戸時代の嶺岡牧は海岸直上の魚見塚展望台近くまで伸びていたことが明らかになった。

 また、魚見塚一戦場公園東縁の土手は大浦木戸といわれ、土手脇に建つ説明板にもそう記されているが、貝渚区有文書に大浦木戸、川口木戸とも明治時代新造の土手より遙か先に示されており、誤って伝わっていたことも判明した。

 このように、誤った嶺岡牧の認識を正す文書類が、10月8日に始まった嶺岡牧ミニ企画展「鴨川市貝渚区有文書が語る嶺岡牧」で展示されている。なお、魚見塚一戦場公園東縁の野馬土手は江戸幕府直轄牧である嶺岡牧とは無関係であることを、貝渚区有文書を調べた日暮晃一調査員が「明治時代に新造された一戦場公園東縁の野馬土手」と題し、嶺岡牧祭りの一環で11月16日に城西国際大学観光学部で開催される嶺岡牧研究発表会で報告される。

 
 
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