白牛で始まった日本酪農 「白牛酪」食システムの姿をみる南房総市 千葉県酪農のさと

 千葉県酪農のさとで、白牛の仔牛2頭がデビューしたことを祈念して、「白牛で始まった日本酪農」と題するミニ企画展が10日から始まった。白牛は、八代将軍徳川吉宗が民の寿命を延ばしたいと、最高の薬餌と言われていた乳製品の「醍醐」を生産し普及するため、嶺岡牧に放して酪農を始めた由緒のある牛。日本の近代酪農、囲い込み運動は白牛の導入で始まったのである。白牛、嶺岡牧は日本の歴史上極めて重要な資産だが、江戸時代に嶺岡牧でどの様な酪農が行われていたのかは知られていない。その姿が垣間見えるよう今回のミニ企画展は設計されている。

 今回のミニ企画展では、鴨川市坂東の御厩石井家、及び千葉県嶺岡乳牛研究所が所蔵する白牛に関する古文書を20点ほど展示している。近年の研究で、嶺岡牧で白牛が増える速度に合わせ酪農も徐々に伸びたのでは無く、十一代将軍徳川家斉の治世に、岩本正倫が役目で嶺岡牧に出向いた時に「醍醐」を試作し、それを「嶺岡白牛酪」と名付けて、原料乳生産から加工、そして販売網まで食システム全体を整備したことで飛躍的に発展したことが分かってきた。今回の展示で、岩本正倫が興した「嶺岡白牛酪」産業がいかに形成されていったのかを知ることができる。

 また、徳川家重が9代将軍となった年に幕府から嶺岡牧に出されたサトウキビの栽培方法に関する書状も注目される。幕末に「嶺岡白牛酪」を作っているところを見て、食べたことのある人の聞き書きが昭和三七年発行の『安房酪農百年誌』に収録されているが、食品工学者の中に牛乳に砂糖を入れたことを疑問視する声があった。しかし、今回の古文書が見つかったことで、聞き書きが正しかったと判明した。

 このように、今回のミニ企画展をみると、今まで分からなかった黎明期の日本酪農、及び「醍醐」の姿に迫ることができる。

 
 
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