新たに明らかになった嶺岡牧の姿 嶺岡牧調査の最前線 嶺岡牧講演会

 千葉県酪農のさとで10年前から行ってきた嶺岡牧調査で、これまでいわれてきたことと異なる事実が次々と明らかにされ、嶺岡牧像が一変した。嶺岡牧調査の成果は講演会等で速報してきた。8月30日(日)午後1時半から4時半、新型コロナウィルスの影響で延期となった2019年度調査に関する講演会「嶺岡牧調査研究の最前線 嶺岡牧新発見&新たな課題」が行われる。

 2019年度の最大の発見は、鴨川市曽呂の瀧原家に残されていた古文書の中に「嶺岡白牛酪」の生産振興に関する文書を見出したこと。この古文書には、11代将軍徳川家斉の時代に江戸幕府直轄牧の管理役についた石見守(いわみのかみ)岩本正倫が、嶺岡牧で飼養する白牛の乳を用いて乳製品の生産・販売システムを日本で始めて整備したときの様子が記されていた。この古文書を発見した白石典子さんは、「岩本正倫は、八代将軍徳川吉宗が人々の寿命を延ばすため嶺岡牧で酪農を始め、『醍醐(だいご)』という乳製品を作ろうとした。その志を実現させ市中に流通させたのが岩本正倫。江戸幕府版『醍醐』を『嶺岡白牛酪』と名付けて。岩本正倫は健康的な食生活と、日本の製乳業及び安房酪農という産業をつくり出した、日本の変革者だったのです。瀧原家文書には、近代社会に向かって歴史を動かした瞬間の様子が記されています」と語った。その詳細を、「瀧原家文書に記された酪農・白牛産業の振興策」と題し、白石さんがで行われる講演会で報告する。

 この報告のほかに、日暮晃一さんの「嶺岡牧の東端はどこか?~一戦場公園東縁の土手は明治時代に新造された開墾地との境だった~」、水田稔さんの「嶺岡牧文化の魅力『馬頭観音』」が報告される。

 
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