どのように安房酪農がつくられていったか日本酪農を近代化した変革者 嶺岡牧講演会

 

 八代将軍徳川吉宗が国民の寿命を延ばすため、健康に最も良い食べものと言われていた乳製品の醍醐(だいご)を普及することを目ざし、その原料乳を得るため江戸幕府直轄牧の嶺岡牧に白牛を放し酪農を始めた。これが、産業としての牧のはじめてであることから、嶺岡牧を「日本酪農発祥之地」として千葉県の史跡に指定している。この嶺岡牧の中央部に建ち、千葉県の酪農を対象とした博物館である千葉県酪農のさとで、925日(土)に嶺岡牧講演会「日本近代酪農の変革者-安房酪農のルーツに迫る-」が行われる。

 日本の酪農は、江戸幕府による農場制酪農、明治期の地域営農会社による農場制酪農、昭和の農家による小農制酪農、平成の法人中農酪農へと変化している。嶺岡牧は、江戸時代の農場制酪農から昭和の小農制酪農まで、全国の酪農生産様式を牽引した。このうち今回の講演会では、江戸幕府による農場制酪農と、明治期の地域営農会社による大規模な農場制酪農への変革について、変革者の役割の点から光をあてる。

 まず、嶺岡牧スチュワードの白石典子さんが「酪農を近代産業にした岩本正倫」と題し、岩本正倫による「嶺岡白牛酪」(江戸幕府版醍醐の商標)の産業化が日本の製乳業及び安房酪農の原点であり、これが内発的産業革命となり日本を近代社会へと導いたことを示す。次いで、嶺岡牧調査員の日暮晃一さんが「安房畜産近代化の変革者:竹澤弥太郎」と題し、竹澤弥太郎が全国に先駆け地域酪農経営の近代化・民主化と技術革新をもたらしたことを竹澤家文書等から再発見する。

 2011年から千葉県酪農のさとが行っている嶺岡牧調査で、酪農・製乳業史のみならず日本の近代化に関する歴史を大きく書き換えなければならないことが分かってきた。今回の講演会で、その成果の一端が速報される。

 
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